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朝香酒厂便函08年12月号
2008-12-9
             朝香酒蔵便り       2008年12月号
                          あさかさかぐらだより
                                             天津中谷酒造有限公司
                                              天津市東麗経済開発区二緯路
                       TEL.022-2499-1092
                                              FAX.022-2499-3364

              稳定的气候

    本月上旬寒流今冬首次到访了华北地区,上海最低气温甚至降至零下。可能是二氧化碳排气量增加的缘故,世界性的气候异常报道常常见于报端。但从历史长河来看,这些好像还是在误差的范围内。
    公元前2200年北半球出现大规模火山喷发,火山灰遮住太阳光线,低温情况达200多年,黄河流域繁荣的黑陶文化消失了。随着气温回升,人口开始增加,为了防止游牧民族每当夏季气候不顺而南下侵袭,在黄河中游区域建起城墙,城墙内成为集中居住的城市。这就是黄河文明的开始。都市国家开始出现,统辖国家的即是夏王朝。
    夏王朝之后是商,商的时代气候温暖,谷物丰盛,人们利用剩余的谷物酿酒,饮酒开始盛行起来。昌盛的社会留下了高水平的青铜器文化。但是气候变幻是无情的,气温变冷开始了。公元前11世纪同蜂拥而至的游牧民族作战的同时,商王朝又受到居住在西北半农半牧的“周”的袭击,这也是周王朝的开始。
    200年后,即公元前9世纪,地球又开始了寒冷期,公元前8世纪蒙古高原开始干燥,游牧民族为了寻找牧草与粮食频频侵袭周的领土。公元前771年周王朝内部纷争,游牧民族的犬戍民族趁机介入,国王被杀,周的权威旁落,从此进入了群雄争霸的春秋战国时代。
    文明繁荣时期土地被广泛耕作,收获的谷物供养人口,当人口再度增加时其文明抗争气候变化的能力减弱。即干旱或冷夏等致使谷物歉收,这种灾情连续数年时其文明将瞬间消失。就是说王朝的盛衰并非一定是政治上的问题,还与气候有着关联。
    10世纪宋朝到13世纪的元朝,气候稳定,经济发展。其后经历一段不稳定后,于19世纪后半期至现代,我们享受到了稳定的气候,或者说在稳定的气候下世界规模的经济得到发展。
    年年如此,大米丰收,可用大米酿酒。请大家充分地享受用大米酿制的清酒吧!同时不要忘记感谢稳定的气候。
 (同信寄去日本酒造中央会提供的资料请参考)

             朝香酒蔵便り         08年12月号
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                                              天津市東麗経済開発区二緯路
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                安定した気候

  今月上旬、今冬最初の強い寒波が訪れました。上海でも最低気温が零度近くまで下がりました。二酸化炭素排出量が増えているせいか、世界的な異常気象が報告されています。ところが、長い歴史から見れば誤差ともいえる範囲のようです。

 紀元前2200年頃、北半球のどこかで大規模な火山噴火があり、灰が太陽光をさえぎりました。二百年以上にわたって気温が下がり、黄河流域に栄えていた黒陶文化は壊滅します。やがて気候が回復するにつれ人口が増え始め、不順な天候の夏の後にやってくる遊牧民の襲撃を防ぐために黄河中流域では城壁で囲まれた都市に集住するようになりました。黄河文明の始まりです。都市国家ができ、それらを束ねる夏王朝が成立しました。
 夏を継いだ商の時代は概ね温暖でした。穀物は豊かに稔り、余剰穀物を利用して酒が醸され、飲酒が盛んでした。豊かな社会を背景に高度な青銅器文化を残しています。しかし気候変動は無情です。寒冷化が始まり、紀元前11世紀、押し寄せる遊牧民との戦いに消耗していたところ、外征中に西辺に居住していた半農半牧の周に背後を襲われ滅亡します。周王朝の始まりです。
 二百年後の紀元前9世紀、またもや寒冷化が始まります。紀元前8世紀にはモンゴル高原が乾燥を始め、遊牧民は牧草や食糧を求めて周の領土を度々侵します。
 紀元前771年、周王室の内紛に遊牧民犬戎(けんじゅう)が介入し、王が殺されます。周の権威は落ち、有力国が覇を競う春秋戦国時代になります。

 文明が栄え、穀物栽培が可能な土地が全て耕作され、得られる穀物で養えるぎりぎりまで人口が増えた場合、その文明は気候変動にもろくなります。突然雨が降らなくなり、或いは穀物が実らない冷夏が訪れ、それが何年も続けば、あっという間に文明は崩壊します。王朝の盛衰は、必ずしも政治の質の問題ではなく、気候が大きく関わっていたのです。

 10世紀の宋から13世紀の元にかけて気候は安定し、経済が発展しました。不安定な時期が続いた後、19世紀半ばから現代に至るまで安定した気候に恵まれています。或いは気候に恵まれたが故に現代の地球規模の経済発展が実現できたのでしょう。
 毎年、米が豊かに稔り、その米を使って清酒を醸すことができます。その清酒を皆様に思う存分味わっていただくことができます。安定した気候に感謝を忘れてはなりません。
                                     この号終わり
(日本酒造組合中央会提供の資料を添付致しました。是非ご活用ください。)




作者:中谷正人 李恒岐译